ゼントラの野郎はキルキルキル!サーチアーンドファッキーンデーストローイ!!

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2005年 11月 10日

1990年のF1サーカス

今日は戯言など・・・

11月の青く晴れた空を見ながら、この時期になるといつも思い出す。
大英帝国の愛すべき息子、N・マンセルのことを

あれから15年、F1サーカスも様変わりした。最近、F1はあまり見なく
なった。ドライバーがマシンの一パーツにようにさえ感じられる。今のF1は
ドライバーの顔が見えない。心躍らされるエピソードもない。

昔のF1は確かに人間がドライブしていたのだ。A・セナ、A・プロスト、N・ピケ、
G・ベルガー、R・パトレーゼ・・・・みな過去の人になってしまった。が、皆それぞれ
忘れることの出来ないエピソードを持っていたものだ。

1990年の鈴鹿、悪夢の1コーナー。ポールからスタートしたセナは2番手の
プロストにスタートで遅れを取る。直後1コーナーで両者もつれ合うようにコース
アウト。その瞬間セナのワールドチャンピォンが決まる、だがレースとしては最悪
の幕切れだった。替わってトップに立ったのはフェラーリのマンセル。2番手の
ベルガーにみるみる差を付ける。

マンセルの一回目のピットイン。すばやくタイヤを交換するフェラーリのクルー
早く出せ!!と言わんばかりにアクセルを煽るマンセル。交換が終わりジャッキが
降ろされるや否や飛び出していく真っ赤な車体、がピットロードでスローダウン。
ステアリングを叩いて怒るマンセル。彼はジャッキが降ろされる前にクラッチを
繋ぎスロットルを開けてしまい、着地時にバックトルクでドライブシャフトを折って
しまったのだ。マンセル痛恨のミス・・・・

マンセルはシーズン限りでフェラーリを離脱することが決まっていた。残すは
アデレードでの最終戦のみ。

日本GPの翌日、私は所用で名古屋空港にいた。
目の前に品川ナンバーのセルシオ、降りてきたのはN・マンセルその人だった。
ぎゃー!顔ちっちぇー、背高ぇー、等身が違うぅ~~~!
彼はチームクルーもマネージャーも付けず一人で帰国するつもりらしい。
私は精一杯の笑顔(かなりひきつってたと思う)とカタコトの英語で
「おはようございます、Mr.マンセル」
と挨拶した。その直後マンセルがずいっとスーツケースを私に向けて押し出す。
そうだ、私は彼に空港のポーターだと思われたのであった。

彼のスーツケースを押しながらターミナルに行くまで、精一杯の英語で話をした。
そして最後に
「最終戦のアデレード、必ず勝ってください」
「ああ、必ず勝つよ」

翌週の最終戦オーストラリアGP、マンセルはN・ピケとのバトルを制してフェラーリ
での最後のレースを勝利で飾った。
彼が私との約束を守って勝利したと15年たった今でもそう思ってる。
まだF1に人間ドラマが残っていた時代の思い出である。

Ps.空港でマンセルからサインやらピンバッヂやらいろんなモノをせしめた
のは言うまでも無い。
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by mapsmaps | 2005-11-10 19:20 | 雑感、戯言 | Comments(0)
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